ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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お龍 1
IMG_0552.jpg
お龍 像 1
(鹿児島県 鹿児島市 大黒町、いづろ交差点)

撮影日:2012年11月17日
建設年:平成22年
分 類:幕末志士
評 価:☆☆

楢崎龍であるとされた女性の写真。明治5年頃撮影。
楢崎龍であるとされた女性の写真
明治5年頃撮影

楢崎 龍(ならさき りょう)
(1841年-1906年)
坂本龍馬の妻

江戸時代末期から明治時代の女性
名は一般にお龍(おりょう)と呼ばれることが多い。
中川宮の侍医であった父が死んで困窮していた頃に坂本龍馬と出会い妻となる。
薩長同盟成立直後の寺田屋遭難では彼女の機転により龍馬は危機を脱した。
龍馬の負傷療養のため鹿児島周辺の温泉を二人で巡り、これは日本初の新婚旅行とされる。
龍馬の暗殺後は各地を流転の後に大道商人・西村松兵衛と再婚して西村ツルを名乗る。
晩年は落魄し、貧窮の内に没した。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[エピソ-ド]
◎寺田屋遭難で龍馬は両手指に重傷を負い、西郷隆盛の勧めもあって刀傷治療のために薩摩へ下ることになった。
龍馬とお龍は3月4日に薩摩藩船「三国丸」で大坂を出帆した。
船上で龍馬は「天下が鎮まったら汽船を造しらえて日本を巡ろうとか」と言い、お龍が「家などいりません。船があれば十分です。外国まで廻ってみたいです」と言い返すと、龍馬は「突飛な女だ」と笑い出した。
後でこの話を聞いた西郷も「突飛な女だから君の命は助かった」と大笑いしたと後年、お龍は回想している。
◎船は10日に鹿児島に到着し、龍馬とお龍には薩摩藩士・吉井幸輔が同道して温泉療養に向かった。
一行は日当山温泉、塩浸温泉に行き、犬飼滝を見物したり、山に入って拳銃で鳥を撃ったりして過ごした。
また、霧島山の頂にある天の逆鉾を見るために高千穂峰を登ると、龍馬とお龍は同行していた田中吉兵衛が止めるのも聞かずに逆鉾を引き抜いてしまう悪戯までした。
この薩摩旅行の様子を龍馬は慶応2年12月4日付の姉・乙女宛ての手紙で絵図入りで詳しく書き記している。
また、明治になってお龍もこの旅行についての回顧談を残した。
◎土佐藩士・佐々木高行は、お龍のことを「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。善悪ともに兼ぬるように思われたり」(大変な美人だが、賢婦と言えるかどうかは疑わしい。善にも悪にもなるような女)と評している。

◎お龍自身は龍馬の事業や仕事には全く興味が無く、知らされるまで彼の業績を知らずにいた。全てを知るのは明治政府から伝えられたときだったという。

◎1867年11月15日、龍馬は京都・近江屋で暗殺された(近江屋事件)。
後年、お龍はこの晩、血だらけの龍馬が夢枕に立っていたと語っている。
龍馬の訃報は12月2日に下関に伝えられ、覚悟をしていたお龍は髪を切って仏前に添えて大泣きしたという。龍馬との間に子はいなかった。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋


[感  想]
龍馬との旅姿で、静かに龍馬を見つめています。
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