ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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樺山 資紀
IMG_0495.jpg

樺山0500
樺山 資紀 像
(鹿児島県 鹿児島市 高見馬場交差点)

撮影日:2012年11月17日
建設年:平成22年
分 類:軍人、政治家
評 価:☆☆

樺山資紀
樺山 資紀(かばやま すけのり)
(1837年-1922年)
明治時代の軍人、政治家

天保8年11月12日生まれ。
陸軍にはいって少将にすすみ、明治16年海軍に転じる。
第1次山県内閣、第1次松方内閣の海相をへて軍令部長となり、日清戦争で作戦を指揮。
28年大将。
初代台湾総督、第2次松方内閣内相、第2次山県内閣文相などを歴任。
大正11年2月8日死去。86歳。
薩摩(鹿児島県)出身。本姓は橋口。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎日清戦争中、「西京丸」に乗艦した(連合艦隊の伊東祐亨司令長官が慎重な性格であることを案じて督戦に行ったとされる)が、商船を改造した急ごしらえの艦船のため他の艦船より取り残され、清の艦隊に狙い撃ちをされそうになった時、敵の旗艦へ突込み敵僚船が砲撃し難いようにし反転して逃げ切った(いわゆる「前退戦法」)。

◎晩年に脳溢血で倒れ1週間意識が無くなった。
当時かなりの高齢であるため、半ば諦めて皆が葬式の準備を始めたところ、むっくりと布団から身を起こしたという。
この後遺症で右半身に少し麻痺が残ったが、(脳溢血が軽度であったため)リハビリもせず快復できたといわれる。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
腕組みをして、黒田清隆の方へ顔を向けて話している姿です。
若い頃の表情の特徴が余り無いところが残念です。
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