ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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岩崎 興八郎
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岩崎 興八郎 像
(鹿児島県 鹿児島市 東千石町 鹿児島商工会議所ビル内)

撮影日:2012年11月17日
建設年:平成4年
分 類:実業家
評 価:☆☆☆

岩崎 與八郎
「岩崎グル-プホ-ムペ-ジ」から

岩崎 與八郎(いわさき よはちろう)
(1902年-1993年)
鹿児島県の実業家

鹿児島県曽於郡大隅町岩川の出身。
尋常高等小学校を卒業後、商店員から二十一歳で木材会社を興した。
鉄道建設の枕木を端緒に発展、戦後は運輸業、さらに観光事業へと手を広げ、80社を超える岩崎グル-プを率いた。
長年鹿児島商工会議所会頭を務めた。

[エピソ-ド]
◎事業に対してはきわめて厳しい人物であり、自分の意に沿わない社員を激しく叱り付けてクビを言い渡すことも珍しくなかったという。交流のあった作家の椋鳩十は、「自信がありすぎてワンマンである」と評している。一方で、自分でクビを言い渡しておきながら、その社員が数日出社しないと「どうして出てこないんだ」と自宅に電話をかけてくるようなこともあったという

◎携帯電話の普及するはるか前に無線通信の設備を導入し、自分の専用車と各営業所に設備して、いつでも連絡を取れるようにした。この設備は一斉同報であり、話したことはほかの端末すべてで聞こえるものであったため、岩崎が無線で怒鳴りつける様子が他の営業所にも伝わって、多くの社員が冷や汗をかくことになったという。

◎稼いだ金で社会貢献も積極的に行っている。
地元に学校がなくて自分が進学できなかったことを気にしたこともあり、1941年(昭和16年)には町立岩川工業学校を建設して寄贈し、これは後に鹿児島県立岩川高等学校となった。
また1943年(昭和18年)には鹿児島医学専門学校の発足に際して寄付を行い、これは1958年(昭和33年)に国立移管されて鹿児島大学医学部となっている。
自社の技術者不足を感じたことから、1945年(昭和20年)には鹿児島県立工業専門学校設立も支援し、これも鹿児島大学工学部となっている。
大戦後は、1951年(昭和26年)に東京都世田谷区烏山に岩崎学生寮を設立し、1952年(昭和27年)には岩崎育英奨学会を設置して、東京に進学する鹿児島出身の学生を援助した。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋


[感  想]
鹿児島商工会議所ビル1階ロビ-におられます。
照明が当てられており、顔の細かいところまで表現されています。
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