ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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島津 忠義
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島津 忠義 像
(鹿児島県 鹿児島市 照国町 照国神社)

撮影日:2012年11月17日
建設年:大正6年
分 類:大名
作 者:朝倉 文夫
評 価:☆☆☆☆

島津忠義
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

島津 忠義(しまづ ただよし)
(1840年-1897年)
幕末-明治時代の大名、華族

天保11年4月21日生まれ。
島津久光の長男。
安政5年薩摩鹿児島藩主島津家12代となり、父に後見される。
藩の近代化をすすめ、薩英戦争をたたかう。
慶応3年討幕の密勅をうけ大兵をひきいて京都に出、王政復古につとめた。
戊辰戦争では新政府軍の主力となる。
のち公爵、貴族院議員。
明治30年12月26日死去。58歳。
初名は忠徳、茂久。通称は又次郎。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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[エピソ-ド]
◎15代将軍徳川慶喜が大政奉還した後、西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀らの進言を容れ、薩摩藩兵3千を率いて上洛した。
そして王政復古の大号令に貢献し、議定に任ぜられて小御所会議に参席した。
徳川慶喜が発した討薩の表に於いて厳しく糾弾されるが、鳥羽・伏見の戦いでは薩長軍が大勝利を納めた。
この直後、海陸軍総督に任命されるが西郷の進言に従い一日で辞任している。

◎明治維新後は長州・土佐・肥前の三藩と協力して版籍奉還を進んで行なう。
その後、名を「忠義」と改め薩摩藩知事となるが、実質的な藩政は西郷隆盛に任せていたと言われている。

◎忠義は犬追物や乗馬を得意とする一方で、写真撮影や花火作りなどにも興味を持つなど、幅広い趣味を持つ人物であった。

◎1889年(明治22年)2月11日の大日本帝国憲法公布の日、忠義が洋服姿でありながら髷を切らずにいたことに驚いたと、ドイツの医学者・ベルツは日記に記している(ちなみに当時の首相は旧家臣の黒田清隆)。
西洋文化に造詣が深かったにもかかわらず旧習に固執したのは、父・久光の方針に従ったためとされる。


[感  想]
照国神社隣の島津斉彬、久光像とは、ちょっと離れた所におられます。
軍服にサ-ベル姿できりりとした表情が印象的です。
生涯髷を切らなかったということなので、帽子の中は、髷のようです。

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