ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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島津 久光
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島津 久光 像
(鹿児島県 鹿児島市 照国町 照国神社)

撮影日:2012年11月17日
建設年:大正6年
分 類:武士
作 者:朝倉 文夫
評 価:☆☆☆☆

島津久光(近代日本の肖像)
「近代日本人の肖像」から

島津久光

島津 久光(しまづ ひさみつ)
(1817年-1887年)
幕末-明治時代の武士

文化14年10月24日生まれ。
島津斉興の5男。母はお由羅。
薩摩鹿児島藩重富領主。
異母兄斉彬の遺命で子の忠義が鹿児島藩主となると、本家に復帰して国父とよばれ藩政の実権をにぎる。
文久2年(1862)兵をひきいて京都にはいり、藩の尊攘過激派を弾圧(寺田屋事件)。
また、勅使大原重徳を奉じて江戸に行き幕政改革を実施させるなど、公武合体運動をすすめる。
帰途、生麦事件が発生し、薩英戦争をまねいた。
維新後、内閣顧問・左大臣に就任したが、保守的意見がいれられず、明治8年隠退した。
明治20年12月6日死去。71歳。初名は忠教。通称は又次郎。号は双松など。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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[エピソ-ド]
◎藩内における権力拡大の過程では、小松帯刀や中山中左衛門等とあわせて、大久保利通・伊地知貞馨・岩下方平・海江田信義・吉井友実等、中下級藩士で構成される有志グル-プ「精忠組」の中核メンバ-を登用する。
ただし、精忠組の中心であった西郷隆盛とは終生反りが合わず、文久2年の率兵上京時には、西郷が無断で上坂したのを責めて遠島処分にし、藩内有志の嘆願により元治元年(1864年)に西郷を赦免する際も、苦渋の余りくわえていた銀のキセルの吸い口に歯形を残したなどの逸話があるように、のちのちまで両者のあいだには齟齬があった。

◎生麦事件は、幕末の文久2年8月21日(1862年9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。
尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから薩英戦争(文久3年7月)が起こった。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋


[感  想]
有名な生麦事件の大名行列のお殿様です。
鹿児島市照国神社隣の庭園におられます。
IMG_0446.jpg
紅葉がきれいでした。
島津斉彬像と同じく束帯に笏(しゃく)を
右手に持った堂々とした立ち姿です。
若い時の姿を銅像にしたものだと思われます。
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