ken's銅像探索日誌
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新納 久脩
新納久
1 新納 久脩 像

新納 中三(にいろ なかぞう)
(1832年-1889年)
幕末の武士

天保3年4月15日生まれ。
薩摩鹿児島藩の重臣。
慶応元年大目付となり,石垣鋭之助の変名で藩留学生をひきいてヨーロッパ各国を視察。
帰国後家老となり,開成所,外交事務をつかさどる。
維新後は判事,大島島司などをつとめた。
明治22年12月10日死去。58歳。
字は久脩。通称は刑部。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎島津斉彬・茂久2代の藩主に仕え、はじめ軍役方総頭取として兵制改革を行い、西洋式軍制を採用。
文久2年(1862年)には軍役奉行となる。翌年7月に起きた薩英戦争で兵制改革の実績を発揮し、賞賛された。

◎ロンドンにおいてベルギー貴族(フランス国籍)のモンブラン伯爵から貿易商社設立の話を持ちかけられ、ブリュッセルにおいて薩摩藩とモンブランの商社設立契約を結んだ。また、来る1867年のパリ万国博覧会参加を協議して、翌慶応2年(1866年)に帰国した。

◎明治18年(1885年)奄美大島島司となり、特産品である黒糖の流通改革に従事。負債に苦しむ島民のために尽力したが、翌年突然免官された。これは黒糖流通を独占していた鹿児島県商人による画策といわれる。しかしその後も中三は島民から救世の恩人と敬慕された。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
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