ken's銅像探索日誌
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寺島 宗則
3寺島宗則
3 松木 弘安 像

3寺島宗則 肖像
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

寺島 宗則(てらじま むねのり)
(1832年-1893年)
幕末-明治時代の武士,外交官

天保3年5月23日生まれ。
薩摩鹿児島藩士。
蘭学をまなび,幕府の蕃書調所教授手伝となり,文久元年第1回幕府遣欧使節の随員として渡欧。
維新後,外務大輔,駐英公使をへて明治6年参議兼外務卿となり,条約改正交渉にあたる。
のち元老院議長,枢密院副議長などを歴任。
明治26年6月6日死去。62歳。
本姓は長野。前名は松木弘安(こうあん),寺島陶蔵。変名は出水泉蔵。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎日本の電気通信の父と呼ばれる。

◎1889年(明治22年)の枢密院での憲法制定の御前会議において、当時枢密顧問官であった寺島宗則は、伊藤博文議長の提出した憲法草案には、帝国議会に発議権を付与する項目がないことを問題としこれを付与すべきと主張した。
そして議論の結果、ついに憲法上に帝国議会の発議権を明記させることに成功した。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
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