ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
分類



最近の記事



月別アーカイブ



最近のコメント



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

森 有礼
9森有礼
9 森 有礼 像

9森 有礼 肖像
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

森 有礼(もり ありのり)
(1847年-1889年)
明治時代の外交官、政治家

弘化4年7月13日生まれ。
もと薩摩鹿児島藩士で、藩命で英米に留学。
新政府につかえたが廃刀案を否決され辞職。
明治3年ふたたびむかえられ、外務大輔、イギリス公使などを歴任。
この間明六社を結成、「明六雑誌」を刊行して啓蒙活動をおこなった。
18年初代文相となり、諸学校令を制定して教育制度を確立。
刺客西野文太郎におそわれ、明治22年2月12日死去。43歳。
通称は金之丞。
【格言など】女子は天然の教員なり(持論)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎一橋大学創設者、初代の文部大臣、明六社会長、東京学士会院初代会員、明治の六大教育家。

◎福澤諭吉が証人となり、広瀬常との結婚に際して婚姻契約書に署名し結婚(日本における最初の契約結婚といわれる。ただし、山本七平は「欧米で結婚が契約だというのは二人がそれぞれ神と契約するのであって二人が相互に契約するのではない。欧米人が森の『契約結婚』を聞いたらひっくりかえっただろう」と述べている)。

◎1885年(明治18年)、第1次伊藤内閣の下で初代文部大臣に就任し、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)を「教育の総本山」と称して改革を行うなど、日本における教育政策に携わる。
また、「良妻賢母教育」こそ国是とすべきであると声明。
翌年それに基づく「生徒教導方要項」を全国の女学校と高等女学校に配る。

◎英語の国語化を提唱したこと(国語外国語化論)でも有名で、1872年(明治5年)にはイェール大学の言語学教授のウィリアム・ドワイト・ホイットニー宛てに「不規則動詞を規則化して簡略にした英語を日本の国語とするべきではないだろうか」という書簡を送っている。だが、ホイットニーは簡略化した英語に否定的な見解を示した上で、日本語のローマ字化を除いては日本語の廃止に反対している。

◎森の急進的な考えには当時の大衆の感覚とは乖離したものがあり、「明六の幽霊(有礼)」などと皮肉られもしたが、近代国家としての教育制度の確立に尽力したその功績は大きい。

◎1889年(明治22年)2月11日の大日本帝国憲法発布式典の日に国粋主義者・西野文太郎に切りつけられ、翌日死去。43歳だった。
当時の新聞が、「ある大臣が伊勢神宮内宮を訪れた際、社殿にあった御簾をステッキでどけて中を覗き、土足厳禁の拝殿を靴のままで上った」と報じ(伊勢神宮不敬事件)問題となった。この「大臣」とは森のことではないのかと、急進的な洋化主義者であった森は人々から疑いの目が向けられる事となった。
この事件は事実かどうかは定かではないが、この一件が森が暗殺される原因になった。
木場貞長はのちにこの事件は事実無根であると書き残している。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
スポンサーサイト


コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
→http://kendouzou.blog115.fc2.com/tb.php/483-bca750ad
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。