ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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村橋 直衛
10村橋久成

IMG_1013.jpg
10 村橋 直衛 像

10村橋 久成 肖像

村橋 久成(むらはし ひさなり)
(1840年-1892年)
幕末-明治時代の武士、官吏

天保11年生まれ。
薩摩鹿児島藩士。
藩命でイギリスに留学し、帰国後、戊辰戦争に参加。
のち開拓使につとめ、北海道開拓事業の指導にあたる。
明治14年開拓使を辞し、雲水となり行脚放浪。
明治25年9月28日神戸で死去。53歳。
通称は直衛。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

サッポロビールの前身創始者
「村橋久成小伝」
村橋久成は天保11(1840)年、薩摩藩加治木島津家の分家に生まれ、将来は家老職を約束されていた。
慶応元(1865)年、薩摩藩が森有礼ら15人を留学生としてイギリスへ派遣したとき、その一人に選ばれ、ロンドン大学に入学。
翌年に帰国し、幕末維新の動乱期には官軍に参加した。
明治4(1871)年11月、開拓使に10等出仕として採用され、七重村官園(現・七飯町)や、屯田兵のさきがけとなった琴似兵村(現・札幌市)の測量や境界、道路、家屋などの建設に当たった。
村橋を今もサッポロビールに強く結びつけるのは、開拓使麦酒醸造所の建設を東京から札幌に変更させた功績によるものであろう。
開拓使は明治15(1882)年に廃止が予定されていたが、その前年、黒田長官を辞任に追い込んだ「開拓使官有物払下げ事件」が起こる。
村橋は、目前で繰り広げられた“官財癒着”に我慢ができなかったのか、同僚たちが止めるのも聞かず、7等出仕の職を辞した。
それから約10年後の明治25(1892)年10月、「鹿児島 村橋久成」という名の雲水が路上で行き倒れ、仮埋葬されたという死亡広告が神戸の新聞に掲載された。
(サッポロビール120年史より抜粋引用)
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