ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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加藤 恒忠
加藤恒忠IMG_1724 (1)

加藤恒忠IMG_1724 (4)
加藤 恒忠 像
(愛媛県 松山市 文京町 松山大学)

撮影日:2013年3月20日
建設年:昭和38年
分 類:政治家
評 価:☆☆☆

加藤恒忠(拓川)翁
加藤 恒忠(かとう つねただ)
(1859年-1923年)
明治-大正時代の外交官、政治家

安政6年1月22日生まれ。
フランスに留学後、外務省にはいり、ベルギ-公使などを歴任。
明治41年(1908)衆議院議員。のち貴族院議員。
北浜銀行頭取、大阪新報社長をつとめた。
大正11年松山市長。大正12年3月26日死去。65歳。
伊予(愛媛県)出身。司法省法学校中退。
旧姓は大原。号は拓川。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

加藤恒忠IMG_1724 (3)
◆ 加藤恒忠(拓川)翁
本学園三恩人の一人で、松山藩儒学者大原有恒(観山)の三男として生まれ、俳人正岡子規の叔父にあたる。幼くして儒学に親しみ、フランス留学を経て外務省に入り、外務大臣秘書官・大使・公使を歴任後、衆議院議員・貴族院議員に選任された。
後年、松山市長への就任を要請され、第5代市長となり、北予中学校加藤彰廉校長からの高等商業学校設立の提案に理解を示し、文部省との設置折衝を行うと共に、友人新田長次郎(温山)翁に設立資金の支援を依頼するなど、設立運動の中心的な推進役として松山高等商業学校創設に多大な貢献をした。
「松山大学 ホームページ」から

[感  想]
松山大学の校庭におられます。
加藤恒忠IMG_1724 (2)
短い頭髪と髭が特徴的な、じっと前を見つめている胸像です。
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