ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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安部 能成
安倍IMG_1900 (3)

安倍IMG_1900 (1)
安部 能成 像
(愛媛県 松山市 持田町二丁目 松山東高校)

撮影日:2013年3月20日
建設年:昭和41年
分 類:教育者
評 価:☆☆☆

安倍 能成(あべ よししげ)
(1883年-1966年)
明治-昭和時代の哲学者、教育者

明治16年12月23日生まれ。
夏目漱石の門下。
岩波版「哲学叢書」の編集にくわわる。
昭和15年一高校長、21年幣原内閣の文相、のち学習院院長となる。
昭和41年6月7日死去。82歳。
愛媛県出身。東京帝大卒。
著作に「西洋近世哲学史」「カントの実践哲学」「平和への念願」など。
【格言など】現実に触れよとは切実な経験をせよということである
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎1906年、東京帝国大学1年生時に、友人が夏目漱石の元を訪問するのに同行して以来、漱石を深く尊敬師事し、後年には小宮豊隆・森田草平・阿部次郎(鈴木三重吉とする説もある)と並んで「漱石門下の四天王」と称された。

◎在学中、夏目漱石や波多野精一、高浜虚子の影響を受けた。
同窓生の一人に、藤村操がおり、その妹・恭子と結婚した。
また、一高を中途退学した同期の岩波茂雄との交流は終生続き、後年岩波書店経営方針に深く関与し、岩波の没後には、公式伝記も執筆した。

◎鈴木三重吉や寺田寅彦との出会いも、漱石を通じてのものであった。
漱石が修善寺の大患(1910年)に陥った時、安倍たちが駆けつけると、来たからには「あんばいよくなる」と言われたとの挿話があった
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
母校である松山東高校の校庭におられます。
安倍IMG_1900 (2)
松山東高校は、夏目漱石が教鞭をとり、小説「坊ちゃん」の舞台となったところです。
漱石門下であった安倍のきりっとした表情で前を見据えている胸像です。
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コメント
安部能成胸像
同じ胸像が学習院にもあるという話を聞いたのですが、ご存知ですか?
[2014/08/05 15:55] URL | 藤原 #- [ 編集 ]


to 藤原さま
コメントありがとうございます。
同じ胸像が学習院に存在するという情報は、残念ながら持っていません。
学習院院長だったので、ある可能性は高いと思いますが…
[2014/08/19 22:00] URL | ken #- [ 編集 ]

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
[2014/08/23 15:25] | # [ 編集 ]

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
[2014/08/29 10:34] | # [ 編集 ]

Re: タイトルなし
to 藤原さま
情報ありがとうございます。
学習院大学の銅像にも機会があれば、お会いしたいと思います。
[2014/10/12 10:09] URL | kendouzou #- [ 編集 ]


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