ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!


プロフィール

Author:kendouzou
FC2ブログへようこそ!



最近の記事



カテゴリー



月別アーカイブ



最近のコメント



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



リンク

このブログをリンクに追加する



伊藤 博文 1
IMG_5601.jpg

IMG_5603.jpg
伊藤 博文 像 1
(山口県 光市 伊藤公記念公園)

伊藤 博文(いとう ひろぶみ)
(1841年−(1909年(明治42年))
幕末志士、政治家
初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣

撮影日:2007年8月16日
分 類:幕末志士、政治家
評 価:☆☆☆

[経 歴]
熊毛郡束荷村(現:光市)に林十蔵、琴子の長男として生まれた。
幼名を利助。
萩に引っ越した後、父が伊藤家の養子となったため伊藤姓を名乗り、長じて俊輔、博文と称した。
来原良蔵の紹介で吉田松陰の松下村塾に学び、桂小五郎、高杉晋作らとともに尊王攘夷運動に奔走。
しかし、文久3年(1863年)イギリスに留学したのをきっかけに、開国・倒幕に論を転じた。
明治維新後に頭角をあらわし、維新の三傑(西郷、大久保、木戸)亡き後は明治政府の中心人物として活躍、大日本帝国憲法の制定や国会の開設に力を注ぎ、日本近代化の礎を築いた。
明治18年(1885年)初代内閣総理大臣に任じられ、名実とも明治政府の第一人者となった。
第二次伊藤内閣では日清戦争を遂行、戦後は、全権大使として下関で日清講和条約を締結した。
明治33年(1900年)には立憲政友会壮総裁として第四次伊藤内閣を組閣。
日露戦争後は初代韓国統監となり、公爵となったが、1909年ハルビン駅で暗殺された。享年69(68歳没)
「光市観光協会公式ホームページ」から

[エピソード]
○芸者好き
伊藤の女好きは当時から非常に有名であり、あまりの好色ぶりに明治天皇から直々に注意を受けたという逸話がある。
女性と遊んでは捨て去ることから、「箒」という綽名がついた。
また、宮武外骨の発行した一連の新聞では、好色漢の代表格としてパロディの手法を使い伊藤を度々取り上げた(それに次ぐのが、同じ艶福家として知られていた松方正義である)。
地方に行った際には、一流の芸者ではなく、二流・三流の芸者をよく指名していたという。これは、伊藤の論理によると「その土地その土地の一流の芸者は、地元の有力者が後ろ盾にいる。そういう人間と揉め事を起こさないようにするには、一流ではない芸者を指名する必要がある」とのこと。40度の高熱でうなされている時でも両側に芸者ふたりをはべらせたという。もっとも同じ女好きの松方とは違って伊藤にはそれほど多くの子供はできなかった。衆議院議員松本剛明は子孫の一人という。


[感  想]
伊藤公記念公園には、2つの銅像があります。
1つ目が、旧伊藤博文邸前に建つ、立ち姿の像。
これは、伊藤公が完成をみることができなかった旧邸を、末永く見守ってもらうために、平成16年に建立されたものです、
丸めた巻物(大日本帝国憲法)を左手に持ち、旧邸をしっかり見ておられます。


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック



ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ