ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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加藤 嘉明
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加藤 嘉明 像
(愛媛県 松山市 大街道)

撮影日:2013年3月20日
建設年:平成22年
分 類:武将
作 者:田畑 功
評 価:☆☆☆☆

加藤 嘉明
加藤嘉明像(藤栄神社蔵)
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

加藤 嘉明(かとう よしあき)
(1563年-1631年)
織豊-江戸時代前期の武将、大名

永禄6年生まれ。
豊臣秀吉につかえ、賤ケ岳の戦いに七本槍のひとりとして活躍。
小田原攻め、朝鮮出兵などに参加。
関ケ原の戦いでは東軍に属し、戦後伊予松山藩主となる。
大坂の陣にも活躍し、寛永4年会津40万石に転封となった。
寛永8年9月12日死去。69歳。
三河(愛知県)出身。初名は茂勝。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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[エピソード]
◎加藤清正や福島正則らと共に賤ヶ岳七本槍の一人として名を馳せた。武勇に優れ、かつ冷静沈着な名将であり、「沈勇の士」とその活躍ぶりを謳われている。

◎嘉明は南蛮渡来の焼物を多く持っており、その中に虫喰南蛮という小皿10枚の秘蔵の逸品があった。ある日、客を饗応する準備の最中に、嘉明の近習が誤って1枚を割ってしまった。それを聞いた嘉明は、近習を叱るどころか、残り9枚の小皿をことごとく打ち砕いた。そして言うには「9枚残りあるうちは、1枚誰が粗相したかといつまでも士の名を残す。家人は我が四肢であり、如何に逸品であろうとも家来には代えられぬ。およそ着物・草木・鳥類を愛でる者はそのためにかえって家人を失う。主たる者の心得るべきことである」と述べている。

◎あるとき、小姓らが主君の不在をよいことに、囲炉裏端で火箸を火の中で焼いて遊んでいた。そこに嘉明がやってきたので、小姓らは慌てて火箸を灰の中に取り落とした。それを見て嘉明は、素手で囲炉裏に落ちていた火箸を拾い、顔色一つ変えず静かに灰の中に突き立てたという。

◎築城や城下町の建設などにも力量を発揮した。愛媛県においては、現在でも松山城築城の評価は高く、嘉明の騎馬に乗った銅像が建立されている。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
松山城へのロープーウェイのりば近くにおられます。
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鎧兜姿で槍を右手に持ち馬に跨った姿です。
軽やかに走り出しそうな感じがします。
兜の蛇の目の家紋が特徴的です。
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