ken's銅像探索日誌
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藤堂 高虎
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藤堂 高虎 像
(愛媛県 今治市 通町 今治城)

撮影日:2013年3月20日
建設年:平成16年
分 類:武将
作 者:中村 晋也
評 価:☆☆☆☆

藤堂 高虎
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

藤堂 高虎(とうどう たかとら)
(1556年-1630年)
織豊-江戸時代前期の大名

弘治2年1月6日生まれ。
浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉につかえる。
秀吉没後は徳川家康にちかづき、関ケ原の戦いでは東軍に属し戦功をあげた。
伊予(愛媛県)今治藩主から慶長13年伊勢津藩主藤堂家初代となる。32万3950石。
大坂夏の陣では真田幸村のため苦戦していた家康をたすけた。
寛永7年10月5日死去。75歳。近江(滋賀県)出身。
【格言など】
上として人を御疑い候えば、下また上を疑い、上下疑いこれあるときは、上と下との心離れ申候
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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[エピソード]
◎6尺2寸(約190センチメートル)を誇る大男だったと言われている。

◎慶長の役において加藤嘉明と功を競い、仲が良くなかった。高虎の領地が今治藩、嘉明のそれが伊予松山藩と隣接していたことも事情にあるとされる。
◎別の話もある。会津藩主の蒲生氏が嗣子無く改易されたとき、徳川秀忠は高虎に東北要衝の地である会津を守護させようとした。しかし高虎は「私は老齢で遠方の守りなどとてもできませぬ」と辞退した。秀忠は「では和泉(高虎)は誰がよいと思うか?」と質問すると「伊予の加藤侍従(嘉明)殿です」と答えた。秀忠は「そちは侍従と不仲だったのではなかったか?」と訊ねた。当時の嘉明は伊予20万石の領主で、国替えがなれば40万石の太守になり30万石の高虎より上になるためでもある。しかし高虎は「遺恨は私事でございます。国家の大事に私事など無用。捨てなければなりませぬ」と答えた。のちにこれを聞いた嘉明は高虎に感謝して和解したという。

◎高虎は何人も主君を変えたことから、変節漢あるいは走狗といわれ、歴史小説などでは否定的に描かれる傾向が多い。しかし、江戸時代に儒教の教えが武士に浸透する以前の日本では、家臣は自分の働きに見合った恩賞を与え、かつ将来性のある主君を自ら選ぶのが当たり前であり、何度も主君を変えるのは不忠でも卑しい事でもなかった。高虎は、取り立てて血筋がよかったわけでもないにも関わらず、彼は己の実力だけで生き抜いてきた。織田信澄に仕えていたときにも大いに功績を挙げたが、信澄は高虎を嫌って加増しようとしなかった。そのため、高虎は知行を捨てて浪人し、羽柴秀長のもとで仕えたと言われている。

◎秀吉の死後、豊臣氏恩顧の大名でありながら徳川家康に対し、「自分を家臣と思って使ってください」といち早く且つ露骨に接近したことは、多くの諸大名から咎められた。それに対し、史書に伝えられる高虎の言葉は「己の立場を明確にできない者こそ、いざというときに一番頼りにならない」という言葉を残している。高虎は豊臣秀長に仕えていた時分には忠実な家臣であり、四国攻めの時には秀長に従って多大な功績を立てている。また秀長が亡くなるまで忠節を尽くしている。

◎家康は大坂夏の陣で功を挙げた高虎を賞賛し、「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と述べたと言われている。徳川家臣の多くは主君をたびたび変えた高虎をあまり好いていなかったらしいが、家康はその実力を認めていたようである。大坂夏の陣で高虎がとった捨て身の忠誠心を認め、晩年は家康は高虎に信頼を寄せたようである。

◎関ヶ原の合戦では大谷吉継、大坂夏の陣では長宗我部盛親隊という常に相手方の特に士気の高い主力と激突している。関ヶ原以降、徳川軍の先鋒は譜代は井伊、外様は藤堂というのが例となった。なお、高虎は大谷吉継の墓を建立している。

◎武勇だけではなく、津藩の藩政の基礎を築き上げた内政手腕のほか、文学や能楽、茶の湯を嗜む文化人でもあった。

◎三大築城名人の1人と言われるほどの城郭建築の名人として知られる。慶長の役では順天倭城築城の指揮をとった。この城は明・朝鮮軍による陸海からの攻撃を受けたが、全く敵を寄せ付けず撃退に成功し、城の堅固さが実戦で証明された。また層塔式天守築造を創始し、幕府の天下普請で伊賀上野城や丹波亀山城などを築いた。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[感  想]
今治城の前の広場におられます。
躍動感あふれる馬に堂々と跨った姿です。
IMG_1606.jpg
今治城をバックにした姿が映えます!
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