ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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梅ヶ谷 藤太郎
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梅ヶ谷 藤太郎 像
(福岡県 朝倉市 原鶴温泉サンライズ広場)

撮影日:2015年2月1日
建設年:平成13年
分 類:力士
作 者:塙 和道
評 価:☆☆☆

梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう)
(1845年-1928年)
力士

15代横綱。福岡県朝倉郡杷木町梅ヶ谷出身。本名小江藤太郎。
大阪の大関となった1870年に上京、初め本中に付け出されたが、逆境に発奮し74年入幕。
以来5敗のみで84年の天覧相撲に際し横綱免許。
176cm、124kgの強豪で、維新後不況の角界復興の端緒をつくった。
その人情家ぶりは落語や芝居の《幸助餅》の報恩美談になって現在も上演されている。
引退後は取締雷権太夫となり、国技館建設に功績があり、隠居後も協会は給金を贈った。
「世界大百科事典」から

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[主な成績]
幕内通算成績:116勝6敗18分2預78休 勝率.951(歴代横綱最高勝率)。
優勝相当成績:9回

[エピソード]
◎巨体とも伝わるが、実際には歴代横綱の中で小柄な方。右上手を浅く引きつけ、左は筈かのぞかせて寄る堅実な取り口だったとされている。
◎人望が非常に厚く、1904年に大相撲常設館建設が計画された際には、安田銀行本所支店長だった飯島保篤から自分の信用だけで40万円(現在なら100億円に相当するという)を無担保で借りることに成功した。協会は飯島に感謝し、毎場所初日に飯島家へ赤飯を届けるようになったという。
◎一斗酒の酒豪で、4斗樽を片手で差し上げる無双の怪力、研究熱心で寝た間も二の腕を脇から離したことがなく、彼の下駄は親指に力を入れて歩くため、その辺がひどく窪んだという。

[銅 像]
1959年11月24日、出身地である朝倉市の原鶴温泉で「初代梅ヶ谷記念碑」の除幕式が行われた。2001年11月3日には、同じ原鶴温泉のサンライズ広場にブロンズ像が完成した。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[感  想]
朝倉市原鶴温泉道の駅近くの広場におられます。
左手に刀を持ち化粧まわしを着けた堂々とした立ち姿です。
DSCN0096.jpg
銅像の台座のまわりが土俵になっています。
DSCN0106.jpg
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