ken's銅像探索日誌
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市村 清
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市村 清 像
(佐賀県佐賀市城内 市村記念体育館)

撮影日:2015年2月2日
建設年:昭和38年
分 類:実業家
作 者:古賀 忠雄
評 価:☆☆☆

「三愛会ホームページ」から
市村 清(いちむら きよし)
(1900年-1968年)
昭和時代の実業家

明治33年4月4日生まれ。
昭和4年福岡で理研の感光紙販売のための代理店をつくり、大河内正敏にみとめられる。
11年理研感光紙(現リコー)を設立した。
戦後、三愛商事、明治記念館、三愛石油、日本リースなどを創立、リコー・三愛グループとして統括した。
昭和43年12月16日死去。68歳。佐賀県出身。中央大中退。
【格言など】人を愛し、国を愛し、勤めを愛する
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

[エピソード]
◎「人の行く裏に道あり花の山」を座右の銘とし、常識の裏をかくアイディア社長として一世を風靡した。
◎1945年終戦を迎えると、「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の三愛主義をモットーに三愛商事(現・三愛)を設立、銀座4丁目角の土地を取得し食料品店を開業する。後に婦人服専門店に転業し現在に至る。銀座の土地は買収に難航したが、ある地権者の老婦人が大雪の中断りに出向いた時、彼女の濡れた足元を見た女性事務員が自分のスリッパを履かせ、抱きかかえるように3階まで案内したことに感激し、交渉がまとまったというエピソードは有名である
◎1952年には三愛石油を設立、外資の攻勢をはねのけて、羽田空港の給油権獲得に成功する。本拠の理研光学においても、1950年に二眼レフカメラ「リコーフレックスIII」を発表、従来のカメラの1/4ほどの価格低下を実現し、大衆カメラブームを巻き起こした
◎「経営の神様」としてマスコミの寵児となり、五島昇、盛田昭夫ら若手経営者や大宅壮一、邱永漢、今東光、升田幸三等の文化人が市村を取り巻いて教えを求め、世間はこれを「市村学校」と呼んだ。
◎産業界・学界で功労者を顕彰する市村賞にその名を遺す。
◎語録
「書いたものより口約束こそは守れ。うそをついてはいけない。」
「もし成功に秘訣があるとすれば、他人の立場を理解し、他人の立場から物事をみる能力を持つことである。」
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

◆市村記念体育館
県内の体育と文化の振興を図り、あわせて県民の体育やその他の健康で文化的な各種の催し物の用に供するため、郷土出身の元リコー社長・故市村清氏が私財2億1千万円を投じ、昭和38年3月11日に佐賀県に寄贈された体育館です。

『“か”と“け”の違い』
“か”と“け”の違いは、市村清の事業家としての信念といえるものです。
「儲ける」ことではなくて、自然に「儲かる」ような仕事に手をつけるべきだというものです。
このことは、戦後、今では結婚式場として有名な明治記念館を市村が創立したとき、市村の予想に反して利用者が多く、開業早々から黒字となり大成功となったことで悟ったようです。以後、市村の経営に適用したことは言うまでもありません。
“か”(儲かる)と“け”(儲ける)の違い
…私が、結婚式場で有名な、明治記念館の創立者であることは、あまり知られていない。
 敗戦後まもないころ、ある人の紹介で明治神宮の宮司から、
「…市村さん!これから、神宮関係の多くの人たちが、どうして食べていったらいいか、ホトホト困っているのです。なんとか、お力を貸していただけないでしょうか」
と、相談を持ちかけられた。…(中略)
 「どうでしょうね。今日まで戦争のため結婚出来なかった多くの人々のためにも、神宮の方針としても、厳粛にして簡素な結婚式場を経営されては…」
という意見を述べた。…(中略)
…敗戦により全国民が自信と希望を失っているとき、明治神宮と国民大衆を結びつける大いなる意義があると信じた。
 それは明治時代こそ、日本民族の黄金時代であり、その中心が明治大帝であらせられたので、この時代を回顧することにより国民全体に奮起をうながしたかったのである。従ってこの経営は暴利はもちろん、すべての点で最大の注意を払わなければならないと自ら戒めたのである。と同時に、あのようにもったいぶったところで結婚式場をやっても、おそらく利用者は多くないだろうと、赤字覚悟ではじめたのだが、開店早々の黒字なのである。
 このとき、私は、ハッと、悟るものがあった。というのは、私は、若いころ、一儲けしようと思って一生懸命やった仕事が、なかなか儲からない。
 ところが、この場合、私は、結婚式場で儲けようなんてケチな考えからでなく、前記のような主義と精神で、たくさんの人たちの人生の首途を祝福してあげたい、という一片の至情から出発したのであるし、利益などは、夢にも考えていなかった。
 しかるに開業早々、黒字になったというのは、今まで私が数多く手がけてきた事業のなかでも、明治記念館が、最初であった。
 結局、(儲けようなんて気持ちが強くては、駄目だ。儲かるようにならなければ駄目だ。儲けようという気持ちでは、限度がある。いくら一生懸命にやっても、大したことは出来ない。しかし、道に則ってやれば、自然に儲かる。…そして、儲かる方は、無限である…)と、明治記念館経営で、悟ったのである。
 その後、“三愛”の経営に、“か”と“け”の違いを、適用したことはいうまでもない。
出典:『儲ける経営法 儲かる経営法』p40~42
参考:『そのものを狙うな』p172~176
「三愛会ホームページ」から

[感  想]
市村記念体育館の玄関横におられます。
DSCN0112.jpg
黒縁の眼鏡と細身の顔が印象的です。
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