ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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江藤 新平
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江藤 新平 像
(佐賀県佐賀市神園 神野公園)

撮影日:2015年2月2日
建設年:昭和51年
分 類:幕末藩士
作 者:中島 快彦
評 価:☆☆☆

江藤
「近代日本人の肖像」から

江藤 新平(えとう しんぺい)
(1834年-1874年)
幕末-明治時代の武士、政治家

天保5年2月9日生まれ。肥前佐賀藩士。
枝吉神陽の義祭同盟に加わる。
文久2年脱藩し尊攘活動をおこなう。
維新後新政府の文部大輔をへて明治5年司法卿となり、司法権の独立、司法制度の整備につくす。
6年参議。征韓論がいれられず辞職。
7年佐賀で挙兵し、敗れて4月13日処刑された(佐賀の乱)。41歳。名は胤雄。号は南白。
【格言など】ますらをの涙を袖にしぼりつつ迷ふ心はただ君が為め(辞世)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

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[エピソード]
◎江藤は藩校の弘道館に入学した頃、髪の毛はぼさぼさでぼろぼろの服を着ていた。
女中がひやかそうとすると高い声で書物を読み上げ、驚かせたという。
◎明治政府に仕えていた頃、40人ほどの書生の面倒を見ていたといわれ、そのため、死後に借金
が残った。
◎江藤が出した意見書は非常に画期的で民主的である。その代表として「国の富強の元は国民の
安堵にあり」という意見書の一文がある。他方、外交については積極的な対外進出を主張してお
り、明治4年(1871年)3月に岩倉具視に提出した意見書には清をロシアとともに攻めて占領し、
機会を見つけてロシアを駆逐し、都をそこに移すといった内容のことが書かれている。
◎江藤が処刑された後、佐賀では「江藤新平さんの墓に参拝すると百災ことごとく去る。」といわ
れ、参拝客が多かった。そのため、県庁が柵を設けて参拝を禁止した。従って、夜間に参拝する
者がいたという。

「維新の十傑」の1人。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[感  想]
神野公園におられます。
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紋付き袴を着た堂々とした立ち姿で、大きさも結構有り、迫力があります。

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