ken's銅像探索日誌
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プッチーニ
プッチーニ (4)

プッチーニ (5)

プッチーニ 像
(長崎県 長崎市南山手町 グラバー園)

撮影日:2015年3月20日
建設年:平成8年
分 類:外国人
作 者:ジルベール・ルビーブル(Gilbert Lebigre)フランス人
評 価:☆☆☆

GiacomoPuccini.jpg
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から
プッチーニ【Giacomo Puccini】
(1858年-1924年)
イタリアの作曲家。

ベルディ以後イタリアの生んだ最大のオペラ作曲家。
5代続いた音楽家の家系に生まれ、ミラノ音楽院でA.ポンキエリに学び、学友P.マスカー
ニと親しくなった。
1884年最初のオペラを発表。
93年3作目のオペラ《マノン・レスコー》で成功を収め、《ラ・ボエーム》(1896)、《トスカ》
(1900)、《蝶々夫人》(1904)と傑作を書き続け、《トゥランドット》(未完。F.アルファーノが
完成させて1926年初演)まで10曲のオペラを作曲した。

プッチーニ (8)

プッチーニ (3)

「蝶々さん」は誰か?
揚羽蝶「蝶々夫人」の舞台となった日本では長らく「『蝶々夫人』のモデルは誰か?」とい
うことが議論されてきた。
ロングの実姉サラ・ジェニー・コレルは、1890年代初頭から鎮西学院五代目校長で宣教師
でもあった夫とともに長崎の東山手に住んでいた。
ロングは、姉のコレル夫人から聞いた話から着想を得て、小説を執筆したとされている。
長年、有力視されていたのは、幕末に活躍したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバー
の妻、ツルである。これは彼女が長崎の武士の出身であることや、「蝶」の紋付をこのんで着
用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来する。長崎の旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山
手の丘の上にあることも、物語の設定と一致する。しかし、ロングの小説で具体的に記述さ
れている蝶々夫人の経歴に、ツルの生涯と似ている部分があるが、重要部分で異なる点も多
いため、モデルと考えるのは不自然との意見もある。
一方、グラバーとツルの間に生まれた長男の倉場富三郎がペンシルバニア大学に留学してい
たこと、ロング本人が、「姉は倉場富三郎に会ったことがある」と語ったと言われることな
どは、「蝶々夫人=グラバー・ツル」説を裏付ける要素とされている。但し、ロングは小説
が実話に基づくとは明言しておらず、また、彼自身がアメリカ士官を貶めているともとれ
る小説の人物設定について多くの批判を受けていたこともあり、真相は曖昧にされたまま
現在に至る。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[感  想]
グラバー園中央付近の広場の植え込みの中におられます。
プッチーニ (1)
左手をズボンのポケットに入れ、右手にハットを持った立ち姿で、空を見上げています。
白い大理石で造られています。大理石の肖像も蝶々夫人像の近くに有ります。

プッチーニ肖像

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