ken's銅像探索日誌
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山田 顕義 1
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山田 顕義 像 1
(山口県 萩市 椿東 顕義園)

山田 顕義(やまだ あきよし)
1844年−1892年(明治25年))
長州藩士、政治家、陸軍軍人。
日本大学、國學院大學の学祖

撮影日:2007年8月23日
分 類:幕末志士、政治家、陸軍軍人
評 価:☆☆☆

[年 譜]
1844年 藩士山田七兵衛の長男として産まれる。
1857年 松下村塾に入塾。以後攘夷運動に奔走。
1862年 狙撃隊を結成
1864年 7月19日 禁門の変に加わる。
1865年 御楯組結成。四境戦争に参陣。整武隊総督となる。
1868(明治元)年 鳥羽伏見の戦いに整武隊を率いて活躍。
1871年 岩倉使節団の一員として渡欧。
1877年 西南戦争では政府軍別軍を率いて鎮定にあたり、功績を上げる。
1878年 陸軍中将
1885年 司法大臣
1889年 日本法律学校(現日本大学)を創設
1890年 国学院大学を創設。
1878年 参謀本部・監軍本部を設置
1892年 生野銀山視察中に急死。

顕義は、1844年大組士山田七兵衛の長男として中ノ倉に生まれ、幕末までは市之允と称していました。
松下村塾には安政4年(1857)、14歳の幼さで入門しています。
のち久坂玄瑞らと行動を共にして、幕府側との抗争において京都の禁門の変で敗走しました。
しかし、四境戦争や戊辰戦争では、討幕派の志士として諸隊を率いて勝利に導きました。
維新後は、岩倉使節団に加わって欧米諸国を視察し、西南戦争平定の功により陸軍中将に昇進しました。
さらに、第一次伊藤博文内閣のもとでは司法大臣となりました。
また、教育を重視して、日本大学や国学院大学を創立しています。明治25年(1892)没、享年49歳。
「萩市ホームページ」から

昭和54年、日本大学が建学90周年を記念し山口県萩市の誕生地に「顕義園」が設けられた。園内には「山田顕義先生之像」などが設けられている。

[感 想]
日本大学の創設者が、山口県萩市出身者とは、初めて知りました。
銅像の顔は、きっりとした男前ですね。
緑の苔が、せっかくの男前を台無しにしてしまっています。
掃除したら、もっといい感じになるはずです…


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