ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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玉川庄右衛門、清右衛門
玉川兄弟 (2)
玉川庄右衛門、清右衛門 像
(東京都 文京区本郷 東京都水道歴史館)

撮影日:2016年2月27日
分 類:その他
作 者:松野 伍秀
評 価:☆☆

玉川 庄右衛門(たまがわしょうえもん)
(?-1695年)
江戸時代前期の玉川上水工事請負人
江戸の人。幕命により、弟清右衛門とともに承応3年武蔵羽村より江戸の四谷大木戸にいたる上水路を完成させた。
この功で200石の扶持をあたえられ、上水役に任じられ、玉川姓をゆるされた。
元禄8年6月6日死去。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

玉川 清右衛門(たまがわ せいえもん)
(?-1715年)
江戸時代前期の玉川上水工事請負人
江戸の人。幕命により、兄庄右衛門とともに承応3年武蔵羽村より江戸の四谷大木戸にいたる上水路を完成させた。
この功により上水役に任じられ、玉川姓をゆるされた。
正徳5年1月1日死去。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

■玉川兄弟
製作:松野伍秀
玉川兄弟(庄右衛門・清右衛門)は江戸時代初期の人物で、出自や生没年には不明な点が
多いですが農民出身あるいは土木工事業者の束ね役(口入れ業)ともいわれています。
兄弟が歴史の舞台に登場したのは、人口急増期を迎えた江戸の水不足(後には武蔵野の新
田開発の水源不足)を解消するため、新たな上水道の建設が計画されたときでした。
江戸幕府は承応元年(1652、諸説あり)に多摩川からの取水と水道建設を計画。
老中・松平信綱を総奉行にして建設に着手します。その事業を請け負ったのが玉川兄弟で
した。
水路の設計は、松平信綱の家臣である安松金右衛門(異説あり)が担当し、日野、福生、
羽村の3取水地案が提案されます。日野・福生は失敗に終わりましたが、最後の羽村案に
より着工翌年の承応2年に、羽村取水堰から水路の終点である四谷大木戸までの総距離約
52キロの水路が完成しました。水路の一部は今も東京都水道局により使用されています。
工事予算は約6千両(現在の金額で2億近い)ありましたが、当初の工事失敗や「水喰土
(みずくらいど)」と呼ばれた関東ロ-ム層対策(浸透性の高い赤土層に対し、木造や石積
みの水路を構築するなど)により予想外に費用がかさみ、兄弟は家などの私財をなげうっ
て工事を進めました。
幕府は工事完成後、兄弟の功績に対して「玉川」の姓を名乗ることを許して士分相当とし、
200石の扶持を与えるとともに上水を管理する「玉川上水役」に任じてその努力に報いました。
銅像は、羽村取水堰近くの羽村公園内にあります。
兄弟の遺徳を偲ぶ声が地元・羽村を中心に高まったことを受け、昭和33年(1958)に、羽
村水源愛護会により建立されました。
「玉川兄弟の像」と名付けられたこの像は、工事に臨んだ姿を描いています。
左手に測量用の測縄を持っている立像が兄の庄右衛門、右手に木(竹)製の尺杖らしきも
のを持つ片膝の座像が弟の清右衛門といわれ、その表情からは難工事に挑む強い意志を感
じさせます。
江戸庶民の恩人であった兄弟の往時の姿を想像させてくれる像です。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
東京都水道歴史館の2階におられます。
玉川兄弟 (1)
羽村公園内にある銅像のレプリカだと思います。
工事に臨んだ姿を描いた兄弟の小ぶりな像です。
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