ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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本多 庸一
本多 (2)

本多 (3)

本多 (4)
本多 庸一 像
(東京都渋谷区渋谷青山 青山学院大学)

撮影日:2016年2月29日
分 類:教育者
評 価:☆☆☆

本多 庸一(ほんだ よういつ)
(1849年-1912年)

明治時代の宗教家、教育者
嘉永元年12月13日生まれ。横浜に遊学中、キリスト教に入信。
明治7年郷里の青森県弘前にかえって東奥義塾塾長となり、弘前公会を創立。
民権運動にたずさわり、青森県会議員に当選、同議長をつとめたあと教育と伝道に専念。
アメリカ留学後、青山学院院長などを歴任し、日本メソジスト教会初代監督となった。
明治45年3月26日死去。65歳。幼名は徳蔵。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

1890年(明治23年)6月に帰国後、東京英和学校の校主(校長)に就任し、1894年(明治27
年)、青山学院と改称し第2代院長となり、17年間院長職に就き学院発展の基礎を築く。
その教育理念として“希くは神の恵みにより、我輩の学校より所謂Manを出さしめよ”と
いう言葉を残し、青山学院は“Man”を育てる学校であると述べている。ここでいう“Man”
とは、Sincerity(至誠ーきわめて誠実であるということ)、Simplicity(質直ー飾り気がな
くまじめであること)という2つの資質を兼ね備えた人物であり、その精神はスクールモ
ットーである「地の塩・世の光」へと繋がっている。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

[感  想]
青山学院大学のキャンパスの間島記念館入口の横におられます。
本多 (1)
上半身の像で、長い口髭が特徴的です。
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