ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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徳川 好敏
徳川 (3)

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徳川 (4)

徳川 (1)
徳川 好敏 像
(東京都 渋谷区代々木神園町 代々木公園 航空発祥之地)

撮影日:2016年2月29日
建設年:昭和39年
分 類:軍人
作 者:市橋 敏雄
評 価:☆☆☆

徳川 好敏

Tokugawa_Yoshitoshi.jpg
飛行機を操縦する徳川好敏
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から
徳川 好敏(とくがわ よしとし)
(1884年-1963年)
明治-昭和時代の軍人、飛行家

明治17年7月24日生まれ。
43年12月19日、東京代々木の練兵場でファルマン複葉機を操縦、グラ-デ単葉機にのっ
た日野熊蔵とともに日本初の公開飛行に成功。
以後、明野、所沢の各飛行学校長、航空兵団司令官、航空士官学校長を歴任した。
昭和10年陸軍中将。
昭和38年4月17日死去。78歳。東京出身。陸軍士官学校卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

■徳川好敏は、明治から昭和にかけて、日本の航空分野の発展のために尽力した軍人です。
徳川御三卿の清水徳川家第7代当主・徳川篤守の長男として誕生。
高等師範学校附属の小、中学校(現在の筑波附属小・中学校)で学んだのち、陸軍士官学
校を経て明治42年(1909)に陸軍工兵大尉となります。
翌明治43年、好敏は陸軍の命により日野熊蔵歩兵少尉とともに操縦技術習得と、機体購入
のためフランスに派遣されて専門教育を受けます。
当時、ヨ-ロッパでは航空機の発達が著しかったためです。
日本人初の操縦士資格を得たのちに帰国。
同年12月19日、代々木練兵場(現在の代々木公園)にて、会式一号機(アンリ・ファル
マン複葉機)を駆って日本初の航空機動力飛行(高度約70メ-トル、距離約3000メ-ト
ル)に成功しました。
明治44年に完成した日本初の航空機専用飛行場である陸軍所沢飛行場(現在は所沢航空記
念公園)でも、その完成を記念した展示飛行を行っています。
その後も一貫して航空畑を歩み続け、航空兵科が独立したのちは工兵科から転じて後進の育成に力を注ぎます。
一時期現役を離れるものの、終戦時には陸軍航空士官学校長の座にありました。
最終階級は陸軍中将で、長年の功績を賞されて昭和3年(1928)には男爵の爵位も得てい
ます。昭和38年(1963)没。
銅像は代々木公園内にあり、園内順路より少し外れた木々に囲まれた場所にあります。
鳥が翼を広げた姿を意匠にした「日本航空発始之地」の記念碑(昭和15年建立)があり、
その近くに日野熊蔵の像と共に建てられています。
製作発起は航空同人会で、昭和39年に除幕。
製作は鋳金家・市橋敏雄の手によります。
初飛行以後も一貫して航空発展に尽力した徳川好敏だけに、その姿は飛行服・飛行帽着用で描かれています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
日本初飛行の地である代々木公園におられます。
徳川 (2)

徳川 (6)
飛行服と飛行帽を着用した上半身の像です。
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