ken's銅像探索日誌
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日野 熊蔵
日野 (1)

日野 (2)

日野 (3)

日野 (4)
日野 熊蔵 像
(東京都 渋谷区代々木神園町 代々木公園 航空発祥之地)

撮影日:2016年2月29日
建設年:昭和49年
分 類:軍人
作 者:小金丸 幾久
評 価:☆☆☆

日野 熊蔵

日野 熊蔵2
日野 熊蔵(ひの くまぞう)
(1878年-1946年)
明治-大正時代の軍人

明治11年6月9日生まれ。
43年陸軍大尉のときドイツで飛行機の操縦術をまなび、グラーデ単葉機を購入して帰国。
同年12月19日東京代々木練兵場で徳川好敏(よしとし)と日本最初の公開飛行に成功した。
大正5年陸軍中佐。
昭和21年1月15日死去。69歳。熊本県出身。陸軍士官学校卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

■日野熊蔵は、明治から昭和にかけて活躍した軍人・航空技術者です。
明治11年(1878)に旧相良藩士の子として熊本県で生まれ、成長して陸軍士官学校に進み
ます。
卒業後は陸軍歩兵科に属し、技術審査部で兵器研究も手掛けています。
明治43年には徳川好敏工兵大尉とともにフランスのアンリ・ファルマン飛行学校エタンプ
校で学びますが、航空機の買い付けは不調に終わり、熊蔵は単身ドイツと交渉してグラ-
デ単葉機を購入して帰国します。
明治43年12月19日、熊蔵は徳川好敏とともに日本初の動力飛行に挑みます。
彼の乗機は自ら買い付けたグラ-デ単葉機で、自重・エンジン出力ともアンリ・ファルマ
ン機の半分とコンパクトな機体(操縦席は降着車輪架兼用式で主翼直下に懸吊され、地面
すれすれの低位置でした)で約1000メ-トルの距離を飛行。
10万人以上といわれた観客の喝采を浴びました。
その後は、自らの設計による日野式飛行機の開発を行うなど技術開発の分野に力を注ぎ、
操縦装置など航空機関係の技術のほか、日野式拳銃に代表される銃器設計にも特許取得の
実績を残しました。
最終階級は陸軍歩兵中佐で、退役後は困窮と自身の大病との戦いの中で技術開発に挑んで
います。昭和21年(1946)没。
なお、地元熊本では、日本初の動力飛行の偉業達成100周年を記念して、ドキュメンタリ
―ドラマの制作などの記念事業が行われているそうです。
銅像は代々木公園内にあります。「日本航空発始之地」の記念碑の近くに、徳川好敏の像と
並んで建てられています。航空五〇会の発起で昭和49年に建立。
長崎県出身の彫刻家・小金丸幾久の製作で、退役が40歳と早く、技術開発の多くを民間人として行っていたこともあり、洋装(ス-ツ)の姿で描かれています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から
日野 (5)

[感  想]
日本初飛行の地である代々木公園におられます。
日野 (6)
スーツ姿の上半身の像で、徳川好敏像と並んで建っています。


日野 (1)

日野 (2)

日野 (3)

日野 (5)
日野 熊蔵 像
(東京都 渋谷区代々木神園町 代々木公園 航空発祥之地)

撮影日:2016年2月29日
建設年:昭和49年
分 類:軍人
作 者:小金丸 幾久
評 価:☆☆☆

日野 熊蔵(ひの くまぞう)
(1878年-1946年)
明治-大正時代の軍人

明治11年6月9日生まれ。
43年陸軍大尉のときドイツで飛行機の操縦術をまなび、グラーデ単葉機を購入して帰国。
同年12月19日東京代々木練兵場で徳川好敏(よしとし)と日本最初の公開飛行に成功した。
大正5年陸軍中佐。
昭和21年1月15日死去。69歳。熊本県出身。陸軍士官学校卒。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

■日野熊蔵は、明治から昭和にかけて活躍した軍人・航空技術者です。
明治11年(1878)に旧相良藩士の子として熊本県で生まれ、成長して陸軍士官学校に進み
ます。
卒業後は陸軍歩兵科に属し、技術審査部で兵器研究も手掛けています。
明治43年には徳川好敏工兵大尉とともにフランスのアンリ・ファルマン飛行学校エタンプ
校で学びますが、航空機の買い付けは不調に終わり、熊蔵は単身ドイツと交渉してグラ-
デ単葉機を購入して帰国します。
明治43年12月19日、熊蔵は徳川好敏とともに日本初の動力飛行に挑みます。
彼の乗機は自ら買い付けたグラ-デ単葉機で、自重・エンジン出力ともアンリ・ファルマ
ン機の半分とコンパクトな機体(操縦席は降着車輪架兼用式で主翼直下に懸吊され、地面
すれすれの低位置でした)で約1000メ-トルの距離を飛行。
10万人以上といわれた観客の喝采を浴びました。
その後は、自らの設計による日野式飛行機の開発を行うなど技術開発の分野に力を注ぎ、
操縦装置など航空機関係の技術のほか、日野式拳銃に代表される銃器設計にも特許取得の
実績を残しました。
最終階級は陸軍歩兵中佐で、退役後は困窮と自身の大病との戦いの中で技術開発に挑んで
います。昭和21年(1946)没。
なお、地元熊本では、日本初の動力飛行の偉業達成100周年を記念して、ドキュメンタリ
―ドラマの制作などの記念事業が行われているそうです。
銅像は代々木公園内にあります。「日本航空発始之地」の記念碑の近くに、徳川好敏の像と
並んで建てられています。航空五〇会の発起で昭和49年に建立。
長崎県出身の彫刻家・小金丸幾久の製作で、退役が40歳と早く、技術開発の多くを民間人と
して行っていたこともあり、洋装(ス-ツ)の姿で描かれています。
「歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ」」から

[感  想]
日本初飛行の地である代々木公園におられます。
日野 (6)
スーツ姿の上半身の像で、徳川好敏像と並んで建っています。
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