ken's銅像探索日誌
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鍋島 茂義
なべしま (2)

なべしま (3)

なべしま (4)

なべしま (5)
鍋島 茂義 像
(佐賀県 武雄市武雄町 武雄市文化会館庭園)

撮影日:2016年3月28日
建設年:平成3年
分 類:武士
作 者:武藤 三男
評 価:☆☆☆

sigeyosi02.jpg
鍋島 茂義(なべしま しげよし)
(1800年-1863年) 
江戸時代後期の武士

寛政12年10月25日生まれ。肥前佐賀藩家老。
天和3年同藩武雄領主となる。
高島秋帆に洋式砲術をまなび、領内でモルテ-ル(臼砲)を鋳造。のち藩砲術師範となり、軍備の近代化につくした。
文久2年11月27日死去。63歳。
別名は紀義。通称は十左衛門。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

なべしま (6)

『茂義の科学研究』
武雄には現在も138冊の蘭書コレクションや、地球儀や天球儀、測量器具や時計、薬品などの輸入物品が残されているが、これは茂義の時期にオランダから購入されたものである。
それに加えて、武雄では、天保年間、塚崎城(武雄領主の館、現武雄高校)で理化学実験用シリンダーなどのガラス製品や、蘭引(蒸留装置)や乳鉢、乳棒などの磁器が製造されている。
茂義やその家臣は、これらの実験器具を用いて理化学実験を行っており、特に、火薬や雷管の研究を行っていたと言われる。
佐賀藩では、嘉永4年(1851年)に精煉方(理化学研究所)を設け、本格的に理化学研究に取り組むが、このような武雄領の研究結果は、その際、大いに参考にされたものと思われる。
また、嘉永7年(1854年)に、茂義は斉正から精煉方における蒸気船建造の責任者に任命されるが、これも茂義がすでに蒸気機関についての知識を有していた表れと考えられる。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

武雄鍋島邸の庭園(現在の武雄市文化会館)
江戸時代、武雄鍋島家の屋敷は、武雄のシンボル御船山の北麓にあった。1868(慶応4)年に、この屋敷が火災で焼失したため、別邸に移った。
別邸跡は現在、武雄市文化会館となっているが、庭園は残されている。
武雄領主第28代鍋島茂義によって造られた、九州屈指の庭園。
写真右手に武雄への蘭学導入に功績のあった鍋島茂義の像、左手には、多くの貴重かつ膨大な資料が保管されていた蔵が見える

[感  想]
武雄市文化会館庭園におられます。
なべしま (1)
本を左手に、扇子を右手に持った立ち姿です。
研究熱心だった姿をよく現しています。
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