ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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楫取 美和子
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楫取 美和子 像
(山口県 防府市松崎町 防府天満宮)

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久坂 文(楫取 美和子)(くさかふみ(かとりみわこ))
(1843年-1921年)
吉田松陰の妹

撮影日:2016年8月21日
建設年:平成27年
分 類:その他
作 者:小川 幸造
評 価:☆☆☆

はじめ文(文子とも)と称し、のちに美和子と改称した。
1857年、15歳のときに久坂玄瑞と結婚するも、元治元年(1864)禁門の変で夫が落命し、22歳の若さで寡婦となる。
同年9月、玄瑞の生前に養子としていた楫取素彦・寿子夫妻の次男道明(久米次郎)が家督を継ぐと、文は彼を支え久坂家の復興に努めた。ところが、道明は明治12年(1879年)に楫取家を継いだ。なお、時期は不明だが、毛利元徳の夫人安子に女中として仕え、元徳の嫡子元昭の誕生後はその守役として仕えたといわれる。
明治14年(1881年)群馬県令の任にあった素彦の妻、姉寿子が逝去し、明治16年、41歳のときに素彦と再婚。群馬を去った後も貴族院議員などの公務で多忙な素彦を支えた。明治30年、素彦が明治天皇第十皇女貞宮の御養育主任に任じられると、貞宮に御付として仕えた。晩年は防府市で過ごした。
「萩市観光協会 萩の人物データベース」から

『山口・防府に楫取素彦・文夫妻の銅像 地味な2人知名度アップを』
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主役で吉田松陰の妹の文と、準主役で文の再婚相手である楫取素彦。
松陰や久坂玄瑞、高杉晋作など幕末の逸材を多数輩出した長州藩においては、かなり地味な存在だ。
楫取夫妻の終焉の地、山口県防府市では、大河ドラマを機に2人の知名度アップを図るキャンペーンが展開されており、29日には同市の防府天満宮に銅像が初めて完成した。(将口泰浩)
楫取素彦は文政12(1829)年、長州藩医の松島家の次男として萩に生まれ、小田村家の養子となって小田村伊之助と名乗る。
後に幕府の追及を逃れるため、藩命で「楫取」に改名した。藩主の毛利敬親の側近として薩長同盟を推進し、維新を迎える。松陰が「正直者すぎて困る」と評すほどの、まさに「至誠の人」だった。
維新後、群馬県の初代県令(現在の県知事)に任じられ、蚕糸業の発展などに尽くす。
だが、明治14年に最初の妻を亡くし、16年、文と再婚した。
文も、夫である松陰門下の久坂玄瑞を明治維新期の禁門の変で亡くしていた。
再婚した楫取と文は明治26年、防府に移住し、2人ともここで亡くなった。
大河ドラマでは、文を井上真央さん、楫取を大沢たかおさんが演じている。
松陰の志を受け継ぎ、大きな功績を残した楫取だが、知名度は低い。
大河ドラマは地味な夫妻の知名度アップ、そして縁の深い防府をアピールするのに絶好の機会だ。
このため、地元のライオンズクラブが2人を顕彰する銅像の建立を計画し、29日、除幕式を迎えた。
銅像は、防府天満宮にある貞宮遙拝所のそばに建つ。
楫取は明治天皇皇女、貞宮多喜子内親王の御養育主任も務めていたが、内親王は3歳で夭逝。
楫取は防府天満宮に遺品を奉納し、遙拝所が建った。
楫取夫妻の銅像は優しい表情で遙拝所を見守っている。
除幕式には山口県の村岡嗣政知事が出席し、「県内外から多くの観光客に足を運んでいただきたい。
銅像建立を契機に地域全体が元気になってほしい」とあいさつした。
2015.3.30産経新聞

[感  想]
防府天満宮の境内におられます。
着物姿の立像で、夫婦一緒の像です。
DSCN9946.jpg
遙拝所を見守っておられます。
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