ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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佐藤 慶太郎
佐藤 (1)

佐藤 (2)
佐藤 慶太郎像
(福岡県 北九州市若松区 佐藤公園)

撮影日:2016年5月31日
建設年:平成21年
分 類:実業家
作 者:朝倉文夫
評 価:☆☆☆

佐藤 慶太郎
佐藤 慶太郎(さとう けいたろう)
(1868年-1940年)
実業家

1868年(明治元年)、筑前国遠賀郡陣原村(現・福岡県北九州市八幡西区陣原])に出生。
1886年(明治19年)、福岡県立英語専修修猷館(現・修猷館高等学校)に入学。
その後、法律家を志し修猷館を中退。明治法律学校(現・明治大学)に入学。
卒業後、帰郷し筑豊炭田の積出港であった福岡県遠賀郡若松町において石炭商の仕事に従
事、独立後に炭鉱経営者として成功を収めた。
しかし持病の胃腸病が悪化したため経営の第一線から退き、1918年(大正7年)に若松市
議会議長に就任。
第一次世界大戦後の戦後恐慌下、石炭鉱業連合会の設立構想を三井、三菱、古河等の財閥や
有力者に熱心に説いてまわり、創設に尽力した。

佐藤 (3)

1921年(大正10年)、連合会創設のために上京した折り、目にした時事新報社説で、東京
府美術館(現・東京都美術館)の建設計画が資金難のため頓挫しつつあることを知り、面識
があった東京府知事阿部浩に即座に100万円(現在の約33億円相当)の寄付を申し出た。
これにより、岡倉天心や横山大観らの「美術館が欲しい」という明治以来の日本美術界の悲
願が実現することとなった。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

『佐藤慶太郎像:若松で除幕 炭鉱の富で社会貢献 /福岡』
炭鉱経営で築いた富を、東京府美術館(現東京都美術館)や病院建設に寄付した佐藤慶太郎の胸像が若松区の邸宅跡「佐藤公園」に建てられ、14日、除幕式があった。
胸像は、私財を社会貢献のために使い続けた慶太郎の生き方を広く知ってほしいと地元有
志が計画。昨年11月、実行委員会が発足し、準備を進めていた。
不況にもかかわらず80の法人や個人から約560万円が寄せられ都美術館が保管する朝倉
文夫作のブロンズ像の複製が、公園の入り口近くに建てられた。
除幕式には、実行委の岡部秀年会長や慶太郎の孫の佐藤浩さん、北九州市の北橋健治市長のほか、慶太郎が晩年移り住んだ大分県別府市の浜田博市長ら約150人が出席。その後、若松市民会館で、胸像設置のきっかけとなった「佐藤慶太郎伝」の著者、斉藤泰嘉筑波大教授(57)が記念講演。約700人を前に「死後70年たってなお、このように胸像が建つ慶太郎は幸せな人。像には一切寄付者の名前がない。無名の篤志事業(フィランソロピー)を実践した彼の生き方が、地元に根付いていると思う」と語りかけた。
宮若市竜徳、小森良一さん(87)は「炭鉱の技術者として働いていたので、どんな人物なのか興味があった。若松には当時、石炭で財をなした人がたくさんいたけれど、すごい人ですね」と話していた。【長谷川容子】
毎日新聞 2009年6月16日 地方版
〔北九州版〕

[感  想]
旧邸宅敷地である「佐藤公園」におられます。
佐藤 (4)
上半身の像で、おだやかな表情と口髭が特徴的です。
東京都美術館にも同じ銅像があるそうです。
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