ken's銅像探索日誌
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平 敦盛
平 敦盛 像
(兵庫県 神戸市須磨区須磨寺町 須磨寺)
撮影日:2016年8月26日
建設年:昭和42年
分 類:武将
作 者:平安美術製作所
評 価:☆☆☆☆
平敦盛像(狩野安信筆、須磨寺蔵)
平 敦盛(たいらの あつもり)
(1169年-1184年)
平安時代後期の武将
嘉応元年生まれ。平経盛の子。
寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで、源氏方の熊谷直実に討たれた。16歳。
笛の名手とつたえられ、謡曲「敦盛」や浄瑠璃「一谷嫩(ふたば)軍記」などで名だかい。
通称は無官大夫。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から
笛の名手であり、祖父・平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。
平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。
源氏側の奇襲を受け、平家側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。「延慶本」や「鎌倉本」の『平家物語』では、直実が敦盛の笛(または篳篥)を屋島にいる敦盛の父・平経盛の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から
波際を敗走する平敦盛
永青文庫蔵『一の谷合戦図屏風』より
源平の庭
今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。
当時十六歳の無官太夫平敦盛が一の谷の浜辺において、源氏の武将熊谷直実に討たれた話は平家物語の中で最も美しく、最も悲しい物語として古来語り継がれております。
庭前には、「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑があり、庭の角には弁慶が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札を立てた、歌舞伎「一の谷嫩軍記」にも登場する「若木の桜」があります。
「大本山須磨寺ホームページ」から
[感 想]
須磨寺の境内におられます。
熊谷直実との一騎討ちの様子を表した像です。
鋭い眼差しできりりとした表情の鎧甲姿の騎馬像は、躍動感があります。
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[2016/08/26 02:18]
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