ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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熊谷 直実
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熊谷 直実 像
(兵庫県 神戸市須磨区須磨寺町 須磨寺)

撮影日:2016年8月26日
建設年:昭和42年
分 類:武将
作 者:平安美術製作所
評 価:☆☆☆☆

熊谷 直実(くまがい なおざね)
(1141年-1208年)
平安後期-鎌倉時代の武将

永治元年生まれ。武蔵大里郡(埼玉県)熊谷郷の人。
平家方から源頼朝の配下に転じ、本領熊谷郷の地頭職をみとめられる。
平氏追討に活躍し、一ノ谷の戦いで平敦盛を討つ。
建久3年伯父久下直光との領地あらそいに頼朝がくだした裁定を不服として出家、法然の門にはいった。
承元2年9月14日死去。68歳。
通称は次郎。法名は蓮生。
【格言など】浄土にもがう(剛)のものとや沙汰すらん西にむかひてうしろみせねば(「法然上人絵伝」)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

一ノ谷の戦いの後、首実検をするとこの公達は清盛の甥・平敦盛と判明、齢十七だった。
討ち死にの折に帯びていた笛「小枝」は、笛の名手として知られた敦盛の祖父・忠盛が鳥羽上皇から賜ったものだという。
これ以後直実には深く思うところがあり、仏門に帰依する思いはいっそう強くなったという(『平家物語』)。
敦盛を討った直実は、出家の方法を知らず模索していた。法然との面談を法然の弟子に求めて、いきなり刀を研ぎ始めたため、驚いた弟子が法然に取り次ぐと、直実は「後生」について、真剣にたずねたという。
法然は「罪の軽重をいはず、ただ、念仏だにも申せば往生するなり、別の様なし」と応えたという。
その言葉を聞いて、切腹するか、手足の一本も切り落とそうと思っていた直実は、さめざめと泣いたという。
家督を嫡子・直家に譲った後、建久4年(1193年)頃、法然の弟子となり出家した。
法名は法力房 蓮生(ほうりきぼう れんせい)である。
※出典: フリ-百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

呼び止める熊谷直実
呼び止める熊谷直実
永青文庫蔵『一の谷合戦図屏風』より

[感  想]
須磨寺の境内におられます。
IMGP5480.jpg

IMGP5534.jpg

IMGP5465.jpg
熊谷直実との一騎討ちの様子を表した像です。
左手で手綱を引き、右手で扇子を広げた騎馬像で、平敦盛を呼び止めている様子をあらわしているものと思われます。
髭をはやした表情が特徴的です。
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