ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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乃木 希典 1
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乃木 希典 像 1
(山口県 下関市 長府 覚苑寺)

乃木 希典(のぎ まれすけ)
(1849年-1912年)
明治時代の軍人

乃木
「近代日本人の肖像ホームページ」から

乃木 希典
乃木 希典
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

撮影日:2007年9月6日
建設年:昭和33年
分 類:軍人
作 者:長谷川栄作
評 価:☆☆☆

嘉永2年11月11日生まれ。
長門(山口県)府中藩士の子。
明治4年陸軍少佐となり,西南戦争に従軍。
歩兵第一旅団長,台湾総督などをへて,日露戦争では第三軍司令官として旅順攻撃を指揮。
37年陸軍大将,40年学習院院長。
明治天皇大葬の日の大正元年9月13日,妻の静子とともに殉死した。64歳。
号は静堂,石林子など。
【格言など】うつし世を神さりましし大君のみあとしたひて我はゆくなり(辞世)
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

「概 観」
乃木は、日露戦争において旅順要塞を攻略したことから、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた。
しかし、旅順要塞攻略に際して多大な犠牲を生じたことや、明治天皇が崩御した際に殉死したことなど、その功績及び行為に対する評価は様々である。
例えば、司馬遼太郎は、著書『坂の上の雲』『殉死』において、福岡徹は著書『軍神 乃木希典の生涯』において乃木を愚将と評価した。
他方で、司馬遼太郎らに対する反論や、乃木は名将であったとする主張など乃木を擁護する意見もある。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋

[銅 像]
この銅像は2代目で、初めの銅像は、昭和14年竣工。
昭和18年戦局の苛烈に伴い供出され、
昭和33年に再建された。 

[感 想]
下関市長府の乃木神社におられます。
大きく迫力があり、秋は、紅葉が栄えてきれいだと思います。
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