ken's銅像探索日誌
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岩崎想左衛門重友
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岩崎想左衛門重友 像
(山口県 周南市 鹿野)

岩崎想左衛門重友(いわさきそうざえもんしげとも)
(1598年−1662年)

撮影日:2007年9月21日
分 類:その他
評 価:☆☆☆

[略 歴]
岩崎想左衛門重友は、1598年、現在の周南(しゅうなん)市にある富田村に生まれました。
岩崎家は、代々毛利家に仕える武士の家でしたが、想左衛門が生まれたころの岩崎家は、農業を営む浪人暮らしで、想左衛門も9才の時、寺へ修行に出されます。
しかし、もう一度、武士に戻りたいという思いを持った想左衛門は、寺を出て、成人後には鹿野(かの)村へと移り住みます。
 鹿野村は、台地状の地形にあり、村の中央には錦川が流れていましたが、低い位置にあるため、利用は困難で、村では、かんがい用水はもちろんのこと、飲み水にすら事欠くありさまでした。
想左衛門は、この窮状を救うため、私財を投げ打ち、錦川の支流渋川の水を村へと引く工事を藩へ申し出ます。
 1651年、藩の許可を得て、漢陽寺(かんようじ)の裏山を掘り抜いて水路を引く工事が始められますが、約90mもの岩盤にノミとツチでトンネルをくり抜くこの工事は、困難を極めました。
4年後、ようやく工事が完成し、トンネルから水がほとばしり出ると、それまで、荒地であった鹿野の台地にも、次々と新しい田畑が作られていきました。
 このトンネルは、後に想左衛門と親交のあった当時の住職によって、「潮音洞(ちょうおんどう)」と名付けられ、これは、観音菩薩のように「慈雨(じう)を注いで民を潤す」という意味だといいます。
潮音洞から流れる水は、現在も鹿野の大地を潤しており、潮音洞は、現在、県の史跡に指定されています。
「中国土地改良調査管理事務所」ホームページから抜粋

[感  想]
この像は、旧鹿野町役場の前にあります。
この像のすごいところは、想左衛門の両手から水がしたたり落ちているところです。
多分銅像の中を水が通るパイプが仕掛けて有るのだと思います。
水を引き、鹿野の大地を潤した想左衛門にピッタリの銅像だと思います。


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