ken's銅像探索日誌
旅先で出会った銅像達を紹介します!
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重源
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重源 像
(山口県 山口市 徳地)

重源(ちょうげん)
(1121年-1206年)
平安後期-鎌倉時代の僧

撮影日:2007年10月18日
分 類:僧
評 価:☆☆

保安2年生まれ。
仁安2年宋(中国)にわたり,明庵栄西とともに帰国。
焼失した東大寺再興の大勧進職を命じられる。
文治元年大仏開眼会を,建久6年大仏殿落慶法要をおこなった。
建永元年6月5日死去。86歳。京都出身。
俗名は紀重定。字は俊乗坊。号は南無阿弥陀仏。法名は「じゅうげん」ともよむ。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」から

治安四年(1180年)平重衡の兵火により東大寺が焼失すると、東大寺再建の議が起こり、翌年、重源上人が東大寺勧進職に任ぜられた。
その時、重源上人は61歳の高齢であった。
まず大仏の鋳造がはじまり、文治元年(1185年)8月・大仏開眼供養がいとなまれた。
文治2年3月、東大寺再建のため、周防国が東大寺営科国にあてられ、重源上人がその国務管理に任ぜられた。
直ちに周防国に下向し、4月18日には宗人の陳和卿、日本の大工物部為里等十余人を率いて、佐波川をさかのぼり、佐波郡の奥地(現徳地町)で杣始めの式を行った。
柱1本の長さ30m、直径1.5mの巨木をはじめ多量の材木を山から伐り出す作業は困難をきわめたが、重源上人のたゆみない努力によって再建事業はすすみ、建久元年(1190年)10月大仏殿上棟、正治元年(1199年)6月南大門上棟、建仁3年(1203年)11月東大寺総供養が行われた。
重源上人は建永元年(1206年)東大寺において86歳の生涯を終わった。
東大寺の再建によって徳地町は重要文化財月輪寺薬師堂をはじめ、法光寺の仏像、佐波川関水、石風呂等多くの遺跡と重源に関する言い伝えを残し、この時期に飛躍的発展をしたのである。
『徳地町ホームページ』から

[感 想]
防府市から徳地町(合併して今は山口市ですが)へ入る玄関口にこの銅像は、おられます。
東大寺の材木を佐波川で運んでいる姿です。
よく見ると、銅製では無いので塗装がはがれているところがあるのが、少し残念です。

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